南仏、音楽つれづれ日記

南仏での生活、音楽、旅行などのんびりと記していきます

シュトックハウゼン、Refrain

先日、(と書くつもりでしたが演奏会からだいぶ日が経ってしまいました^^;;)  モンペリエ音楽院の企画の一つとして、シュトックハウゼンに関する講演会が行われました。その中で曲の紹介を兼ねて、"Refrain"という楽曲を演奏しました。

この曲はピアノ、チェレスタ、そしてヴィブラフォンから成るアンサンブル楽曲です。

私は今回初めてシュトックハウゼンの曲に取り組みました。そして初のチェレスタに挑戦しました。

この曲でとにかく大変だったのは、楽譜を解読するという作業です。楽譜には説明書が付随されているのですが、なんせもともと理解しづらい内容であるとともに、フランス語で書いてあるため頭を悩ませまくりました。。

 

 

この曲について日本語での説明などがネットで調べてもあまり情報が出てこなかったため、自分なりに概要を紹介してみたいと思います。需要があるかは不明ですが。笑

 

作曲年:1959年

演奏時間:約12分

作品番号:Op.11

献呈:Ernst Brücher

ジャンル:室内楽

楽器編成: ピアノ、ヴィブラフォンチェレスタ

初演:1959年10月2日ドイツ、ベルリン

 

この楽曲は、音数が少なく発せられた音の減衰に耳を傾ける"静"の部分と、様々な奏法、また楽器を駆使して多くの音で満たされる"動"の部分、という2つの対照的なテクスチュアによって特徴づけられる。

この楽曲を語るにあたり、特筆すべきは楽譜の形状である。楽譜が円形になっているのだ。円状の楽譜は6段の五線譜で構成され、3段で上半円、もう3段で下半円、といった具合である。(言葉で説明するのは難しいので詳しくは下記のリンク先を参考に…)


http://stockhausenspace.blogspot.fr/2014/05/opus-11-refrain.html?m=1

 

それから、楽譜とともに透明の定規が付属されている。この定規には様々な音型が記されている。グリッサンドクラスター、トリル、ピアノの低音、短いメロディの断片など音のキャラクターとしてはざわめくような印象の音群であり、これがリフレインの正体だ。なぜ楽譜が円形かというと、楽譜上にこの定規を配置するためである。ちょうど、時計の針のように。

手順を説明すると、演奏グループ(3人)で円形の楽譜に定規をどのような角度で配置するかを決める。定規の当たっていないところはもちろん楽譜通り演奏するのだが、定規に到達した時には元の楽譜に書いている事を排除して定規に書かれた音群を弾くのだ。そして定規に書かれている音を弾き終わったらまた元の楽譜通りに弾く。前述の通り、円形の楽譜の部分は6段あるため、この定規によって"中断"させられる部分、つまりリフレインが6回訪れるということになる。

 

先ほど言ったように、リフレイン、つまり定規の位置は演奏者たち自身が話し合って決めなければならない。このような自由要素があることによって、各演奏にバリエーションが生まれる。(実際、YouTubeで幾つかの演奏を見たのですが、それぞれリフレインの位置が異なるので楽譜を見ながら曲を追うというのがとても難しかったです^^;; )

 それから、奏者はそれぞれ補足の打楽器も演奏しなければならない。ピアノはウッドブロック、チェレスタはアンティークシンバル、ヴィブラフォングロッケンシュピールをそれぞれ自分の主要楽器の横に据え、楽譜に赤く示された音符を頼りに音を鳴らす。これに加え、楽譜の随所にはK という文字が記されている。これが示すのは舌のクラック音(なんと言うのが正しいのだろうか…舌打ち?)である。また、pi, ta taeというようなアルファベットで示された短い音節(シラブル)も要所要所に散りばめられている。演奏者はこれらをまるで楽器のごとく発声しなければならない。

奏者は複数のことを同時に行わなければならず、これは集中力を要するのだが、この曲で最も求められるのは互いの音を聴きあうということである。

 

この楽器の編成として、私が面白いと感じたのは、すべて鍵盤楽器、一音のみでクレッシェンドすることは不可能な、つまり音を一音鳴らしたら減衰する運命にある楽器を選択していることである。また補足楽器のグロッケンシュピール、ウッドブロック、アンティークシンバルも然り。これは弦楽器や管楽器と比較した場合の欠点といえる。

 

しかしながらこの楽曲、特に"静"の部分では、この欠点を逆手にとっているといえる。この楽譜には音価(音の長さ、四分音符、八分音符等)を示す記号は用いられていないのだが、その代わりに、音の強度が音符の玉の大きさによって示される。玉が大きいほど音は大きく、小さいほど音は小さく、といった具合である。そしてその強度よって各音の持続時間は決定づけられる。

その一方、6回の"refrain"、"動"の部分においては、トリル、グリッサンドクラスター、ピアノのバス音などといういわば特殊奏法が駆使されている。これらは鍵盤楽器の武器とも言える。

このように、楽器の特性を最大限生かしながら、"静"と"動"のコントラストを描き出したという点において非常に興味深い。

 

正直なところ、こういった1900年代中頃の音楽は、アイディアに行き詰まった作曲家たちの苦し紛れのエゴの見せ合いなんじゃないかと思っていました。(言い過ぎ)

 しかし今回楽曲と向き合って、日本の伝統音楽に通づる部分があるのではないかと感じました。平たくいえば、規則的なリズムや拍子が存在するわけではなく、音を聴きあい、間を大切にする、というような点において。

 

あるサイトでこんな文章を見つけました。

 

シュトックハウゼンは初来日の際、この国を「全てがアートだ」と表現した。彼は、「(日本は)自分の人生に大きな変化を与えた」とし、「あの国では全てが文化になっているように感じた。食事の仕方も私の国の100万倍以上文化的だった。服の着こなし、他人の受け容れ方、別れの挨拶の仕方、愛の交わし方、寝床の整え方、風呂の入り方など全てがそうだった」と述べている。 

 

この曲が作られたのは1959年、初来日は1969年。この事実から、直接的に日本の影響を受けたとは言い難いですが、きっとシュトックハウゼンの美学が日本の文化とリンクする部分があったからこそ彼は感銘を受けたのかもしれないですね^^

 

なんだかマニアックな話と、私のつたない文章が相まって意味不明かもしれないけれど、せっかくの経験、自分の備忘録として書きました。

 

ちなみに講話をした先生曰く、シュトックハウゼンと同じ時代に生きていたら、彼の楽曲を理解、演奏するためにはシュトックハウゼンと少なくとも1ヶ月は寝食をともにして過ごす必要がある、と言われていたそうです(^^;;笑 

 

とにかく興味をもって挑戦してみることで、新しい視点に出会うことができました。

(一つの作品に取り掛かっただけで大口を叩けないのは十分承知しています笑)

 

コンサートのチラシ

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コンサート会場、学校内のla chapelle haute というところ。急いで写真を撮ったので伝わりづらいですが、とっても素敵な空間。学校には一台しかチェレスタがないので、いつもここで合わせをしていました^^

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